カテゴリー別アーカイブ: 日々のできごと・想うこと

あしあと FOOTPRINTS IN THE SAND

昔、大切な友人にプレゼントしてもらったマグカップ。
Footprintsという詩が書いてあります。
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この歌も心にしみる。

鳥だって感じるものがあるのかもしれない。
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と思ったら
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噛んでみたり
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くぐってみたり

やはりマグカップは中の液体を飲むためにある
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義務と権利と愛

まだコスモスの花がわずかに咲き残っているかと思えば、お店のディスプレイはもうクリスマス。
心にも冷たい風が吹き込んでくる今日この頃、「○○さんは教会員の義務を果たしているのですか?」
毎週のように耳に入ってきたこの言葉が何か心に刺さっています。
もちろん、どのような状況で、何を指して、どのような声の調子で言われたかによって意味は全く違ってくるのですが。

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キリスト教には、目に見えない普遍的な教会と、実際に人が集まっている地域の教会があります。
地域の教会はこの世の経済や社会の枠組みの中で運営しているので、「教会員」という制度があり、規則があるのは当然です。
では、義務とは何だろう?と思いました。
礼拝に出席すること、奉仕をすること、献金をすること。
そうでしょうね。でもそれは同時に権利、というより特権でもあります。
そして、権利として見たとき、与えられているものは人によって異なるのではないかと思うのです。

私も以前は、毎朝4時に起きて聖書を読み、祈り、学びをして、熱があっても礼拝は休まず(どころか一日3回礼拝に出席し)、毎週(どころかほぼ毎日)教会に行って奉仕し、自分の生活レベル以上にささげていたし、それが当たり前で、喜びでもありました。
受付や掃除の奉仕者が少ない? だったら奉仕についての学びをしたらいいんじゃないか、と単純に考えもしました。

でも今さら気がついたことは、誰もが全く同じ条件を与えられているのではないということ。
教会に通うために何時間も電車に乗ったり、歩いたり、家族に気を遣わなくてはならなかったり、本当に収入が少なかったりする中で、その人は精一杯のことをしているかもしれない。
教会に行けないという寂しさ、孤独に耐えながら、皆のためにひとり祈っているかもしれない。

教会に通える人が、通えない人を指して「あの人は教会に来ない」と言う。
通えない人は「教会に行きたい、でも行けない」のかもしれない。
「来る」と「行く」では立っている場所が違います。
「来る、来ない」と言える人は恵まれているのです。
模範的な教会生活を送れる人はそのことをただ感謝すればよいのだと、ようやく気がつきました。

そう考えると「義務を果たしているのか?」という問いは、他人に向けるものではなく、自己吟味のためにあるのではないかと思います。
どうせ人は外見で判断することしかできないのだから。

むしろ本当の義務とは、「神を愛すること、きょうだいを愛すること」ではなかったでしょうか。
「愛しているか?」
これは人を指さして問いただすより、まず自分のこころに問うことが必要なのでしょう。
容易じゃないですが。

疲労する部下。上司につける薬…

第187回国会が始まりましたね。
安倍総理が集団的自衛権に関する答弁で「具体的に説明しないと国民の皆さまには分かりづらいと思いますが…」とおっしゃっていましたが、具体的に説明してもらっても理解できないことばかりなのが情けない。

世の中、問題ばかりなのです。

こんな問題もよくありそうですね。「とにかくやれ!」「上司からの修正の嵐で疲労する部下」

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『問題解決フレームワーク44』 西村克己著 学研 より

問題発生。さて、上司は部下に対する指示の出し方をどのように変えればよいのでしょうか。

答は、「いきなり詳細設計、詳細計画に着手するな」「まずは基本方針からスタートすべき!」でした。
詳細から考えるのではなく、企画から考える。
まず目的や対象範囲を確認する。

とは言っても私は上司ではないので、部下に対する指示の出し方は自分では変えられないし、この本の上司ときたら部下が「目的は?方針は?検討範囲は?」と尋ねても、「つべこべ言わずに形にしてこい」と言うだけ。
「上司につける薬」であって、上司が気づくしかないのか。気の毒な部下たち。

そういえば私も「えーっと、それは何のためにしますか?対象は?」と聞くことがよくあります。
経験か本能で「疲労する部下」にならないよう予防線を張っているのかもしれません。

ただし、指示される場合以外にも自分で何かを計画するときに、このフレームワークは有効ですね。
「まず企画から考える」
落ち着いて仕事にとりかかろう。

心のゆとり

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この夏の初朝顔 Morning Glory

この一週間はタイトでした。木、金は朝から晩までJICAのPCMセミナー(国際協力担当者のためのPCMを活用したプロジェクト運営基礎セミナー 計画・立案コース)に参加していました。会場までの移動時間が2時間弱、普段使わない頭と身体を使うセミナーで心身を消耗、帰宅してから急ぎの仕事を片付け、昨日土曜日は外出していた分の仕事をまたまた朝から晩まで・・・という具合。

でも朝顔のこの一輪には、今日、この時しか会うことができません。
心のゆとりを大切にしたいですね。

 

 

NPOのスタッフは霞を食べて生きていけるのか?

のっけから身も蓋もないけれど、NPOで働く人がいくら使命感に燃えていても、霞を食べて生きていくことはできません。

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何年も前のことですが、テレビのキリスト教番組で、世界の子どもたちを支援する国際NGOの日本法人をとりあげていました。
そのとき、そのNPOで働く若い女性スタッフに対して、司会者がこう言われました。(表現は少し違うかもしれませんが…)
「本当にこんなに少ない給料でがんばっているんですよね(偉いですね)。」
そのことばに何か気味悪さというか、違和感を覚えたのです。
「支援活動をする=清貧に甘んじる」
この世の価値観というのか、そんな固定観念があります。

こんな声もよく聞きます。
「(どこか遠くの会ったこともない貧しい子どものためには)寄附をしてもいいが、その支援活動を行う組織にお金を取られたくない。」
気持ちは分かります。
「自分が財布から出した1,000円のうち900円しか相手に届かないなんて許せない、詐欺だ!」
よく分かります。
だったら自分で直接、「困っている人たち」「恵まれない子どもたち」を探し出し、問題を解明し、解決する方法を見つけて、しくみを作り出せばよいのですが、そんな暇はない、というのが普通だと思います。
ジレンマですね。

NPOのスタッフとして働く私自身もジレンマの中にあります。
何もないところから無償のボランティアで始め、定規やペンなど事務用品からPC、ソフトまでほとんど自前。
器用な人なら、自分の生活は確保した上でNPOに関われるのでしょうけれど、私はどうも要領が悪いのです。
お金を払って専門家に頼めないから、何もかも自分で一から学んで、考えて、作り上げ、生活のほとんどを投入しなくてはいけないようなところがあります。
それなのに外部で働いて生計を立てないのは使命感がない、などと言われたりもします。
内部で理解されないのが一番つらいかもしれません。

以前、『ゼロのちから』という本を読みました。
お金をかけずに会社を伸ばすには非営利組織に学ぼう、というビジネス本です。
数々の成功している非営利組織の例が挙げられています。
社員を安く使う(安い賃金で喜んで働かせる)方法などが書かれていて、あまりうれしくない気もしますが、学ぶところはありました。
たとえば、どんな職場でも家庭でもきっと役に立つ、こんなアイデア。
「私が考えているのは、もっと基本的でもっとお金のかからないやり方だ。・・・つまり、親しみをこめて「ありがとう」と言うことだ。面と向かってでも、手紙でも、電話でも、上司が部下に心からの感謝を伝えれば、人は何ヶ月もやる気になるものだ。」

「ありがとう」の一言、うれしいですよね。
娘にLINEで「ありがとう」って言ってみようかな。また夕飯作ってくれるかも。

最終的には、やはり最も重要なのはリーダーの資質、というのが正直な感想ではありましたが。

非営利といっても様々な団体があり、それぞれ状況は違います。
今はまだ力が足りないけれど、もっと多くの人たちがボランティアとして楽しく関わり、様々な専門分野でプロボノと言われる人たちが参加したいと思うような組織になれたらなあと思います。

本日の教訓

暑いですね。今日は法務局に寄ってから職場に行ったのですが…

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電車を降りて、ふと、いつもと違う出口から歩き始めました。方向は分かっているつもり。でもなんとなく景色が違うような気がするなあ、と思いながらしばらく行って、「あ、違う」と気がつきました。炎暑の中、体力を無駄に使ってしまった~。

<本日の教訓1> 方向オンチはさっさとスマホのナビに頼ろう!
自分の悟りに頼るな。(どこかで聞いたような)

しかも、家を出るときに麦茶を持ってくるのを忘れたのです。危険きまわりない。

<本日の教訓2> 「いのちの水」を忘れるな!

いつもは法人の登記簿謄本などを取りに行くのですが、今日は「地積測量図と」いうもので、土地3つ分。332番の札をもらって、吹き出す汗を押さえながら待っている間に、「334番のお客様」は3人くらい呼ばれていました。つまり、待ちました~たくさん。

地積測量図に関しては、「閲覧」はできないそうですが、申請の書類を書くとき、ちょっと見るだけでは分かりません。「証明」と「閲覧」が並んでいて、どちらかにチェックを入れる形。

ついに「332番のお客様~」と呼ばれ、印紙代を払って、また蒸し返るアスファルトの道へ。

その書類は、帰宅途中に郵便局で出すつもりで、回り道して、夜まで開いている(はずの)郵便局に行ってみると、がーん、終了していました。

<本日の教訓3> 「それって思い込みじゃ?」と疑おう。

かくして、一日は無事に終わったのでした。

可憐にしてワイルド!

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ワイルドストロベリー。
寒い冬には雪をかぶりながらも可憐な白い花を咲かせ、少々水やりをさぼって葉っぱがカサカサになってしまっても、暖かくなるとこのとおり元気に育ち、実を付ける。

花言葉は「尊重と愛情」、「キリスト教では正義の象徴とされていた」といろいろなところに書かれている。
それにしてもこの強さ、見習いたい。

神はわがやぐら

気がつけばもう3ヶ月もご無沙汰しているではないですか。
忙しいか、落ち込んで書けないかのどちらかですが、この3ヶ月はほんとうにたいへんだったなと思います。
昨日11月24日は、ジャンガリアンの「あおのしん」が亡くなって2年の日でもあり、私の結婚生活最後の結婚記念日でもありました。
今年で結婚20年。長かった。

さて、あおのしんがいなくなって1年半後に、同じジャンガリアンのオスカーを送り、8月からはセキセイインコのトーマと暮らしています。
この子は最初緊張していて、慣れるのに3週間かかったものの、今はすっかり家族の一員です。
いつも上機嫌で、新しい遊びを考えては前向きにトライ。
「空の鳥」ではなく「かごの鳥」ですが、明日の心配など全く無用で今という時を楽しく生きている姿に教えられ、励まされ・・・。
小さいけれど「必要な助け」だったと感じます。

長い間、睡眠障害も続いていて、気持ちよく目覚めるということがほとんどないのですが、今朝は布団の中で起きなくてはと考えていたとき、「神はわがやぐら」という讃美歌が心に響いてきました。
神さまが味方をしてくださるのに、何を恐れているのか・・・。

詩篇46篇1節
神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。

思えば、明日どうなるか分からない、という日々が20年近く続いて、でも今日まで守られてきたのです。
無理してがんばらなくてもいい。弱音を吐いてもいい。
このやぐらに逃げ込み、助けを受ければいい、そうやって今日一日、与えられた仕事をやっていこうと思います。

夕があり、朝があった

初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)

日が昇ればセミが鳴き始め、気温もどんどん上がってきますが、早朝、5時前後はまだ気持ちがいいですね。
今日はクマゼミが鳴いています。いかにも暑い。

毎日、何とか工夫をしながら、夜になった、朝になった、と過ごしていますが、この昼も夜も季節も、すべて造られた方がおられるということを今朝、あらためて考えました。

人間は何を作ってきたのか・・・。
便利と不自由、安心と危険が実は隣り合わせの世界。

世界の初めに、ひとつひとつが丁寧に造られたものであったことを忘れてはいけないと思いました。

価値観の葛藤を覚えるとき

” I saw no point in being the richest man in the cemetery.” (P.F.Drucker)

自分の価値観に沿わない仕事をして the richest man(woman) in the cemetery になるのは不幸ですね。
私は仕事を選べるほどの能力も資格も蓄えも持ってはいないので、金持ちになることは絶対にありません。
ただ人並みに、自分の価値観に合う仕事をしたいとは思ってきました。
でも生活のためには収入が必要。
どこかで折り合いを付けなくてはいけません。

これは、自分にとって、他の誰かにとって、本当に価値のある仕事なのか?
答えがYesなら、苦しくてもやる。
Noだったら・・・? 
Yes でも No でもなくて確信が持てないときは・・・?
正直言うと、答えを出すこと自体に抵抗がありますが、「最高に幸せな生き方」をしてはいないことは事実でしょう。
(誰にも知られなくても)ひっそりと a happy woman in the cemetery になりたい。